「子供たちのために」という願いと、変わりゆく現実
私の実家は、典型的な地方の田舎にあります。
土地は広く、昔ながらの一軒家で、裏には畑もあります。私が子供の頃、親はよくこう言っていました。
「この家は、将来お前たちの資産になるようにと思って建てたんだ」
その言葉には、嘘偽りのない愛情が詰まっていたのだと思います。
自分たちが苦労して働き、家を建て、それを子供に遺す。それが親としての責任であり、最大の贈り物だと信じて疑わなかった時代があった。
その気持ちには、今でも心から感謝しています。
しかし、時代は変わりつつあります。
私たちが大人になった今、実家のある地域からはどんどん人が減っています。
私が通っていた小学校も統合され、かつての賑わいはありません。
そして、何より残酷な現実は、土地としての価値がほとんどなくなってしまっていることです。
親が「資産」だと信じている場所は、今や手放す際にも多額の費用がかかり、場合によっては赤字になってしまう「負債」に近い存在になりつつあります。
この認識のズレが、親子の間に静かな、でも深い溝を作っているのです。
親の願いが「縛り」に、実家は親の代で完結させてほしい
私自身は、すでに所帯を持ち、仕事や生活スタイルの変化から、実家とは少し離れた場所に家を建てました。
もう実家に戻って住むことはない。
そのことは親も薄々、あるいははっきりと理解しているはずです。
しかし、親は時折、遊びに来た私の子供。つまり孫に対して、こう漏らします。
「いつか、この家を継いでくれたら嬉しい」
その言葉を聞くたび、私の胸はギュッと締め付けられます。
親にとっては「家を遺す」という夢の続きなのかもしれません。
でも、私は自分の子供に、その未来を縛るようなことはしたくありません。
子供には、自分の生きたい場所で、自分の好きなように人生を選んでほしい。
正直なところ、実家は「親の代で完結させてほしい。」それが、親には決して口に出せない私の本当の気持ちです。
「いつか来るその時」に備える、車と家のどうしようもない不安
今はまだ、親も元気です。
運転だって余裕だし、どこへでも自分で行ける。
でも、子どもの立場からすると、だからこそ「そのうち生活が立ち行かなくなるとき」のことが頭をよぎって不安になるんです。
免許を返した瞬間、生活が立ち行かなくなる怖さ
今は良くても、いつか必ず運転が怪しくなる日は来ます。その時、あの場所でどうやって生きていくのか。
一番近いスーパーに行くのすら車が必須な場所で、免許を返納した瞬間に生活は一気に立ち行かなくなります。
親の生活から「足」を奪うようなことは、子供としても軽々しく言えることではありません。
でも、言わずにいて事故が起きたら……。
そんな「出口のない問い」を今のうちから一緒に考えておいてほしいんです。
私は「親の専属タクシー」にはなれない
今は親が自分で動けているからいい。
でも、もし私が「足」にならなきゃいけなくなったら、正直、自分の仕事や生活を抱えながら頻繁に実家に通うのは無理があります。
「何かあれば言って」とは口では言うけれど、いつでもタクシー代わりになれるわけじゃない。
かといって、毎度タクシーを呼ぶわけにもいかない。その現実に直面してから「さあ、どうしよう」と頭を抱えても、お互いに身動きが取れなくなってしまうのが目に見えています。
2階建ての「階段」という、家の中に潜むリスク
実家は昔ながらの2階建てですが、それも今は心配の種です。
歳をとって足腰が弱れば、2階なんてまず使わなくなります。
そうなれば、かつての子供部屋や物置は、ただ埃をかぶって放置されるだけの悲惨な空間になってしまいます。
さらに怖いのは、無理に2階を使おうとして階段から落ちることです。
高齢者にとって、家の中の階段は本当に危険です。
外の移動に車が必要なだけでなく、家の中でも「階段」というリスクと隣り合わせで暮らしていることが、私はとても心配です。
「車なし・階段なし」で生きていける場所への願い
今は「どうにかなる」と思っていても、もっと歳をとって体力が落ちてから「よし、引っ越そう」と動くのは、今想像している以上にエネルギーがいるはずです。
ネットスーパーなどの便利なサービスはあっても、自分の足で外に出られない、誰とも会えない環境に親が居続けるのは、どうしても心配が勝ってしまいます。
元気で、自分の意志で判断できる今のうちに、「車がなくても無理なく生きていける場所」を住まいの選択肢に入れてほしい。
それが、離れて暮らす私の切実な願いです。
離れて暮らす「勝手」と、それでも願う「近居」という選択
実家から離れたところに家を建てて、勝手なことを言っている。自分でもその自覚はあります。
でも、実際に周囲から人が減り、小学校が消えていく過程を見ていると、この先もずっとあの場所に留まり続けることが、将来的に得策だとはどうしても思えないのです。
今は良くても、先を見据えたときに、どこかで行き詰まってしまう不安が拭えません。
私の本当の希望は、親の車の運転が危なくなる前に、住まいを改めてもらうことです。
年を重ねるほど、広い持ち家の管理は物理的にも精神的にも重荷になります。
何かあればすぐに駆けつけられる距離で、身軽な賃貸やバリアフリーの住まいに移ってほしい。
それは親を実家から追い出したいわけではなく、
「安全で、誰かと繋がれる場所」で一日でも長く、無理なく過ごしてほしいからです。
「実家を処分する」という行為には、育ててもらった子供として、どうしても後ろめたさがつきまといます。
けれど、その気持ちを抱えながらでも、
親がまだ元気で判断できるうちに、親子で納得して「実家じまい」を進めておきたい。
口に出してしまえば、親が築いてきたものを否定するように聞こえるかもしれない。
だから言えないけれど、それが私の隠しようのない本音です。
もし具体的な「実家の片付け」が不安なら、実際にどれくらいの費用や手間がかかるのか、目安を知っておくだけでも心の準備になります。
[遺品整理110番]などは見積もりも無料ですし、プロの視点から「何から手をつければいいか」をさらっと聞いてみるのも一つの手かもしれません。
親子の未来を「家」よりも大切にしたい
実家は、私たちの思い出が詰まった大切な場所です。
けれど、その場所を守り続けることが、家族のこれからの生活や子供たちの将来を圧迫してしまうのなら、それは本末転倒だと思うのです。
「いつか来るその時」を先送りにするのではなく、まだお互いに元気で、言葉を交わせるうちに。
「今までこの家を守ってくれてありがとう。でも、これからはもっと身軽に、私たちの近くで安心して暮らしてほしい」
そんな風に、親が築いてきた愛情を否定せず、新しい形の「家族のあり方」を提案できるタイミングをずっと探しています。
それが、地方の実家という難題に直面している私たちが、今一番向き合うべき現実なのかもしれません。
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