お墓の問題というと、管理費や墓じまいの費用など、お金の話が注目されがちです。
でも私が不安を感じたのは、それ以前のことでした。実家のお墓がどこにあるのか、誰が管理しているのか、私はほとんど知りません。
これまでは特に困りませんでした。しかし、「もし親に何かあったら?」と考えたとき、自分が何も知らないまま大切な判断をしなければならないことに気づいたのです。
この記事では、実家のお墓の場所すら分からない私が感じた不安と、調べてみて見えてきたことを書いています。
はじめに:実家のお墓、場所をちゃんと説明できますか?
「あなたのご実家のお墓はどこにありますか?」と聞かれて、迷わず場所を答えられる方がどれくらいいらっしゃるでしょうか。
恥ずかしながら、私は答えられません。
小さい頃に一度か二度、親に連れて行かれた記憶はあるのですが、具体的な場所や墓地の名前までははっきりと思い出せないのです。
これまでは「たぶんあの辺りに先祖代々のお墓があるんだろうな」という、ぼんやりとした認識だけで過ごしてきました。日々の生活に追われる中で、お墓のことを優先して考える機会もほとんどありませんでした。
けれど、ふとした瞬間に現実的な疑問が浮かびました。 「もしこの状態のまま親が亡くなったら、私は具体的にどう動けばいいんだろう?」
そう考えてみると、自分があまりにも何も知らないことに気づき、急に心細くなってきたのです。
もし明日その時が来たら、分からないことだらけ
冷静に整理してみると、本当に分からないことばかりです。 お墓の正確な住所はもちろん、誰が管理していて、どこに連絡を入れればいいのか。
もし親が「先祖と同じお墓に入れてほしい」と願っていたとしても、場所すら分からない状態では、その希望を叶えてあげることすらできません。
いざその時が来てから慌てても、親に場所を確認することはもう不可能です。
それは、残される側にとって「どう弔えばいいのか」という出口のない問題に直面することなのだと、ようやく気づきました。
お墓って「知らないうちに引き継ぐこと」があるの?
ここで、ひとつ気になったことがあります。
お墓というのは、親が亡くなったときに、知らないうちに自分が引き継ぐことになるものなのでしょうか。
どこかの名簿に名前が登録されていて、自動的に次の管理者になったり、ある日突然、霊園から管理費の請求が来たりするのか…
そんな状況になるのではないかと、少し不安になりました。
実際のところ、これは少し違うようです。
多くの場合、お寺や霊園側は、檀家や利用者の家族構成を完全には把握していません。誰が子どもで、誰が次の引き継ぎ人になるのか、向こうから探してくれることは稀です。
つまり、こちらが動かない限り、勝手に管理者にされることもなければ、いきなり請求書が届くことも、基本的には起こりにくいということです。
「何も起きない」からといって、問題がないわけじゃない
何も連絡が来ない。だから困らない。
……本当にそうでしょうか。
例えば、お墓がそのまま放置され、管理費の支払いが途絶えた状態が続けば、いずれ整理されることになります。
いわゆる「無縁墓」として扱われ、遺骨は他の方々と一緒に、合同の供養塔などへ移されるのが一般的な流れです。
そのとき、元のお墓はなくなります。
どこに移されたのかも分からず、個別に手を合わせる場所もなくなってしまう。
それはつまり、「親が眠るはずだった場所がなくなってしまう」ということです。
もし親が「先祖と一緒のお墓に入りたい」と希望していたとしても、その場所自体が消えてしまえば、その願いを叶えることは二度とできません。
正直に言うと、「面倒を見なくていいなら、その方が楽かもしれない」と思った瞬間もありました。お金も手間もかからないなら、それでいいのではないか、と。
でも、親が帰りたかった場所を自分の無知で失ってしまうのだとしたら、本当にそれで解決したと言えるのでしょうか。
本当に負担になるのは、お金よりも「分からない状態」
考えてみると、私が本当に負担に感じていたのは、お金のことではありませんでした。 一番しんどいのは、「何も分からないまま、重い判断を自分一人で下さなければならないこと」だと思うのです。
どこにあるか分からない。どうなっているのか分からない。何が正解かも分からない。その状態で、親に相談することもできず、
- 苦労してお墓の場所を探し出すのか
- それとも、先祖のお墓を諦めるのか
- あるいは、新しく別の場所を用意するのか
これらすべてを、何の判断材料もないまま、自分の責任で決めなければなりません。これが、残される子どもにとって一番の重荷になるのだと感じました。
お骨をどうするか、それは「判断の先送り」かもしれません
ちなみに、お骨についても調べました。
お墓に入れず、自宅で保管する「手元供養」は法律的にも問題ないそうです。実際にそうしている人も増えています。
「お墓が分からないなら、とりあえず家に置いておけばいい」 それも一つの方法ではあります。ただ、それは問題が解決したのではなく、単に「判断を先送りにしている状態」とも言えます。
結局、いつかは誰かが、そのお骨をどうするのかを決めなければならない。
お墓の問題の本質は、「どこに置くか」という場所の話ではなく、「誰が決着をつけるのか」という、意思決定の問題なのだと痛感しました。
親が遺してくれた、実利的な「助け」
以前、私は親がお墓じまいをしてくれていて本当に助かった、という経験を書きました。
もし何も決まっていなかったら、私は場所も知らないお墓のことで頭を抱え、すべてを自分一人で判断しなければならなかったはずです。
親が自分の代で整理をつけておいてくれたことは、私から「迷い」や「決断の重圧」を取り除いてくれる、とても大きな助けだったのだと気づきました。
おかげで私は、余計な心配をせずに過ごせています。これほど大きな負担を減らしてくれていた事実は、無視できません。
実際にどれくらい助かったのかは、こちらで書いています。
→墓じまいは罰当たり?「子供に継がせたくない」と永代供養を選んだ親の決断に、子世代の私が感じた本音。
最後に:大切なのは「答え」ではなく「話し合うこと」
死は突然やってくるものです。
「そのうち話せばいい」と思っていても、準備が間に合わないことは誰にでもあります。だから、現状を責める必要はないと思います。
ただ、何も決まっていないお墓は、そのまま子どもに委ねられます。
それだけは間違いありません。
これからの供養の形に、唯一の正解はないのだと思います。 例えば、私の場合のように、お寺に管理をお任せする「永代供養」を選ぶことが、家族にとって最善の選択になるかもしれません。あるいは、全く別の新しい形を選ぶこともあるでしょう。
何を選ぶにせよ、一番大切なのは、親がどう思っているのか、そして自分がどう考えているのかを「事前に話し合っておくこと」ではないでしょうか。
「お墓はどこにあるのか」「誰が管理しているのか」を確認する。そして、これからのことを相談する。
そうした意思のすり合わせがあるだけで、残される側の不安は驚くほど軽くなります。
お墓の問題というのは、実はそうした「対話」そのものの中に、解決の糸口があるのかもしれません。
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