子どもから見ると少しずつ変化していく親の姿。特に定年を迎えて自宅にいる時間が増えると、それまで見えてこなかった親の「危なっかしい行動」にハラハラさせられる機会が多くなります。
本人は「まだまだ若者には負けない」「昔からやってきたから大丈夫」と思っていても、客観的に見ると大怪我につながりかねないリスクが潜んでいるものです。
この記事では、定年後に活動的になった父親の姿を通して筆者が感じた「親の老い」への不安や、生きがいを奪いたくないという子ども側の複雑な葛藤について綴ります。
そのうえで、親が「まだ大丈夫」と言ってくれている元気なうちに、子どもとしてどのように寄り添い、少しずつ未来の対話を重ねていくべきなのか、前向きに向き合うための気づきをまとめました。
定年後に活動的になった父と、実家に潜む転落・転倒のリスク
時間ができたことで増えた「家のメンテナンス」
うちの父は、長年勤め上げた会社を定年退職してからというもの、妙に活動的になりました。これまでは仕事が忙しくて手が回らなかった反動からか、時間ができたことで、昔から気になっていた家のあちこちを自分でメンテナンスし始めたのです。
具体的には、雨どいの調子を見たり、高所の片付けや補修をしたり、物置の整理整頓をしたり。本人は「今まで忙しくてできなかったことをやっている」という感覚なのだと思います。
定年後に自宅に閉じこもってしまい、急に元気がなくなったり老け込んでしまったりする人の話はよく耳にします。
そのため、父が何かに熱中し、毎日を生き生きと過ごしていること自体は決して悪いことではありません。むしろ、退職後の健康維持や生きがいという観点からは、とても素晴らしいことだと思っています。
子どもの立場から見ると生きた心地がしない「高所作業」
しかし、それを子どもの立場から見守るとなると、話は別です。正直なところ、父の行動は見ていてかなりハラハラしますし、恐怖を感じることさえあります。
特に恐ろしいのが、「高い場所での作業」です。
ある日、久しぶりに実家へ帰省すると、父が当然のような顔をして高い脚立に乗って作業をしていました。
子どもとしては、思わず「いやいや、危ないって!すぐに降りて!」と大声で止めたいのが山々でした。しかし、長年この家を自分で守ってきた父のプライドや、せっかくのやる気に水を差したくないという思いが頭をよぎり、そんな強い言葉は口にできません。
結局、喉まで出かかった言葉を飲み込み、 「ちょっと……本当に気を付けてよ? 必要なら俺がやろうか?」 と、顔色を窺いながら遠慮がちに声をかけるのが精一杯でした。
当の本人はそんなこちらの心配をよそに、平然とした様子で「大丈夫、大丈夫。これくらい昔から何度もやってるから」と笑うだけです。
本人の感覚としては、若い頃から何度も繰り返してきた「いつもの慣れた作業」なのでしょう。しかし、周りで見ている家族からすれば、一歩間違えれば大事故になりかねない危険な行為にしか見えません。
しかも最近では、脚立だけでなく、家の屋根の上にまで上って作業をするようになりました。もし足元を滑らせて落下したら……と思うと、心配で居ても立ってもいられなくなります。
医療現場で見ているからこそ倍増する、高齢者の事故への恐怖
「まさか自分が」という状況で起こる高齢者の怪我
私がここまで父の高所作業に対して神経質になり、強く心配してしまうのには、実は明確な理由があります。私は病院で勤務していた経験があり、高齢者の方が不慮の事故や転倒で搬送されてくるケースを日常的に目にしていました。
医療の現場では、以下のような理由で受診・入院される親世代の方が決して少なくありません。
- 「脚立や高い場所から足を踏み外して落ちた」
- 「荷物を持ったまま、階段から足を踏み外して落ちた」
- 「玄関の段差や、お風呂場で滑って転倒した」
これらは決して珍しい話ではなく、どこの家庭でも起こりうる日常的なリスクです。そして、怪我をされた方の多くが、事故に遭う直前まで「自分はまだ大丈夫」「これくらい動ける」と確信していたのではないかと思います。
身体機能の低下と「過去の成功体験」のズレ
年齢を重ねると、本人が自覚している以上に、とっさの踏ん張りやバランス感覚、動体視力などは少しずつ低下していきます。
しかし、頭の中にあるイメージや過去の成功体験は若い頃のまま止まっているため、実際の身体の動きとの間に「ズレ」が生じてしまいます。
父が平然と高い場所に上っている姿を見るたびに、私は病院で出会う患者さんたちの姿を重ねてしまい、その先に待ち受けているかもしれない「もしもの事態」をリアルに想像してしまいます。
人よりも少しだけ医療現場の厳しい現実を知っているからこそ、不安が膨れ上がってしまうのかもしれません。
バイク事故を経験しても止められない「まだ大丈夫」の心理
手術を経験しても変わらない本人の意志
父は高い場所に上るだけでなく、普段から普通に車を運転しますし、趣味であるバイクにも乗り続けています。実は数年前、父はバイクの走行中に事故を起こしたことがあります。そのときは決して軽症ではなく、骨折をして病院で手術を受けるほどの大怪我でした。
病院に駆けつけたときは生きた心地がしませんでしたし、退院した後は家族みんなで猛反対しました。 「もう年齢的にも危ないし、また大きな事故を起こしたら取り返しのつかないことになるから、バイクに乗るのはやめたほうがいいんじゃないか」と、何度も真剣に説得を試みました。
しかし、結果として父はバイクをやめませんでした。怪我が治ると、何事もなかったかのようにまた愛車にまたがり、出かけていくようになったのです。
生きがいを取り上げることへのためらい
子どもとしては、もちろん心配ですし、危険なことはやめてほしいというのが本音です。しかしその一方で、バイクが父にとって人生の大きな楽しみであり、大切なコミュニティの一部であることも痛いほど分かっています。
若い頃は仕事や子育てに追われ、自分の趣味を我慢してきた時代もあったはずです。定年を迎えてようやくまとまった時間ができ、誰にも気兼ねせず自由に乗れるようになったという喜びも大きかったのでしょう。
それを、子ども側の「危ないからやめてほしい」という一方的な主張を押し付け、すべてを取り上げてしまうのは、本当に正しいことなのだろうかと悩んでしまいます。
もし、父の生きがいや楽しみを無理やり奪ってしまったら、父は急に気力を失い、一気に心身ともに老け込んでしまうのではないか。そんな懸念があるからこそ、「危ないからやめて」という一言を簡単に言い切ることができないのです。
長年、一家の大黒柱として家族を支え、自分の手で家を守ってきたという自負がある人ほど、周囲からの「心配の声」を素直に受け入れるのは難しいのかもしれません。元気で動けている今の状態は喜ばしい反面、その元気さがかえって危険を遠ざけることを難しくしているという、複雑なジレンマを感じています。
【参考記事】
親が終活を嫌がるのはなぜ?拒絶の心理と、角を立てない「向き合い方」
弱ることだけが老いではない。変化する親と向き合うこれからの選択
実家で感じる小さな変化の積み重ね
最近は、実家に帰省するたびに、以前とは違う小さな違和感や変化に気づくことが増えました。
- 手入れが行き届いていたはずの庭木が少し荒れている
- 階段を上り下りする足取りが、以前より明らかにゆっくりになった
- リビングのテーブルの上に、郵便物や書類が乱雑に積まれたままになっている
どれも日常生活にすぐ支障が出るような大きなことではありません。しかし、こうした「小さな変化」がいくつも積み重なっているのを目にするとき、現実としての時間の経過を突きつけられます。そして、危険を顧みずに屋根に上る父の姿を見たとき、私は確信しました。
「ああ、目に見えて弱っていくことだけが老いなのではない。これもまた、親の老いのひとつの形なのだ」と。
【参考記事】
親に伝えたい「実家じまい」の本音。車と階段のリスクから考える近居の選択
自立の誇りと、背中合わせにあるリスク
「まだできる」という本人の強い気持ちと、少しずつ衰えていく実際の身体の機能。その2つの間に生じる危うい隙間こそが、親世代が直面する老いの現実なのでしょう。
もちろん、親には親の人生があります。退職後に何を楽しみにして、どのようなライフスタイルを送るかは、本来であれば本人が自由に決めるべきことです。
しかし、自動車の運転や高所での作業といったリスクの高い行動は、万が一のときに本人だけの怪我では済まない、他者を巻き込む大きな事故につながる危険性も秘めています。だからこそ、家族としていつかは真剣に向き合い、何らかの対策を講じなければならない問題であることは間違いありません。
まとめ:正解を押し付けるのではなく、歩み寄るための対話を
心配だから止めさせたい子どもと、自分の誇りと生きがいを守りたい親。現実は決して単純ではなく、どちらかが正しいと言い切れるような明確な正解はありません。
だからこそ、子ども側の「危ない」という正論を無理に押し付けて、険悪な空気になってしまうのは違うのだと思います。親の身を案じるあまりに衝突を繰り返し、結果として親子の心の距離が離れてしまっては元も子もありません。
結局のところ、こちらの考えを一方的に押し付けるよりも、地道に対話を重ねていくこと。それこそが、親自身がいつか心から納得してくれる「一番の近道」なのだと思います。
すぐに答えは出なくても、お互いの気持ちに耳を傾け、少しずつ歩み寄っていく。その対話の時間を持つこと自体に、何よりの意味があるのだと感じています。
これからも実家に帰るたびに父の様子に目を配り、優しく声をかけながら、私たちの家族にとって一番心地よいバランスを根気強く模索し続けていこうと思います。
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